読書狂

彼は暇というものを知らない。
いつもその懐には本を忍ばせ、少しでも時間を見つければそれを開く。

彼は待つことを厭わない。
待たされれば待たされるほど、本を読む時間が増える。

本を開けば彼の意識はこの世のものではない。
ページと共に彼の頭に開ける世界に入り、時に登場人物となって行動する。

彼には見えている。黒インクのみで色鮮やかに彩られた景観が。
彼には聞こえている。擬音によって奏でられ、場面に響き渡るその音が。
彼には感じられている。行間に交錯する著者達の主張が。

一度本の世界に入り込めば誰も彼の意識に干渉することはできない。
彼の心は手元の小さな世界に入り込んでしまっているのだから。

彼は物語の旅人。
身体はそこにありながら、心は次元を越えて本から本へと渡り歩く。
そして彼は数時間の内に過ごすのだ。本の中で流れたのと同じ年月を。


あとがき

 この詩も一時期櫻田さんのところに掲載されていたもので、今まで書いた詩の中では最も短いものになりました。副題は『物語の旅人』です。
 本を読んでいると物語の中で経過した時間と同じ分、登場人物達と同じ経験をしたように錯覚することがあります。ある本では初めから終わりまでは70年もの年月が経過しているのですが、読み終わった時、初めの部分が酷く懐かしく感じました。

 彼は、極端な僕です。話し掛けたりしたら気付きますけど、でも基本的に本を読んでいる間、僕は自分が何処にいるのか忘れてしまいます。その集中力って自分でも大したものだと思いますよ。
 でも現実世界の彼はあまり社会に適応していないのではないかと。話し掛けても無視するし、電車乗っても本を読んでいる間に乗り過ごしちゃうし。端から見たら本を読んでる彼の姿はかなり不気味でしょうしね。


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